「神」は、心・たましい。
「那」は、豊かで美しい人生になるように。
心動かし感情を味わうこと…
それが人間の生まれてきた意味である!
「死」への恐怖が僕の原点であろう。
「無」になるのが怖かった…
何を残して死んでいくのか?
大人になって直面した「フツー」という名の宗教は僕にとって苦痛であった。
おじいちゃんの死が僕を変えた…
「生きたいように生きる」
「死は必ず訪れる」
お経が唱えられる儀式や極楽浄土などといった宗教的概念は、僕には無意味に思えたからである。
そして僕は異端の道を行く…
おじいちゃんの遺体を前に涙している親戚を見た時、僕は思った。
「この姿(遺体)を見て、はたしてこの人は分かっているのか?自分もいずれ死ぬことを…」
死への恐怖があるからこそ宗教というものが存在するのかもしれないが、
逃げるか立ち向かうかの二択であろう。
逃げるというのは「世間一般に信じられている思考や価値観に染まり、恐怖から目をそむけること」
立ち向かうというのは「自分自身の感情を受け入れて、恐怖を受け入れつつ正直に生きること」
立ち向かうことを選んだ。
なぜなら、死ぬのが怖かったから…
今でも怖い。
もっと言えば死ぬ前に後悔したくない、ということであろうか?