「生きること」の意味について…

 

あなたは「常識を」疑えるか!?

 

666という数字は「獣の数字」と言われ、一般的には忌み嫌われるのがフツーである。

 

キリスト教などでは「13」

 

日本では「4」「9」

 

不吉な数字と言われている。

 

はたして本当にそうなのか?

 

そういった疑問を持つことが重要であろう。

 

 

 

そもそも…

 

数字に限らず「不吉」と言われるものは誰が決めた?

 

死と苦に関しては、あたりまえ、生きていくうえでの自然に起こりうる現象。

 

どこが悪いのか?

 

大げさな表現になってしまうが、この宇宙(自然)には陰と陽、

 

人間でいえばネガティブとポジティブが存在する。

 

 

 

凶とは何ぞや?

 

「おみくじ」を引く人は多いであろう。

 

あなたは大吉を引きたいか?

 

しかし、大吉には「安心感」しか得られない。

 

だから僕は大吉には興味はない。

 

一方、凶には「未来への展望、今の自分自身への戒め」が知ることができるありがたいものだ。

 

僕は「凶」を引きたい変人である。

 

そこには「今日」を生きるためのヒントが隠されているからだ。

 

 

 

初詣に行く人も多いであろう。

 

今年は良い年になりますようにと「かみさま」にお願いして

 

おみくじに一喜一憂

 

そして…

 

これまでと同じような現状が続く一年となるのであろう、たいていは。

 

ちなみに僕の初詣は前年の年末、閑古鳥が鳴く神社で行う。

 

なぜか?

 

年明け正月の神社では、多くの人々が持つ「ネガティブエネルギー」に満ち溢れているからだ。

 

パワースポットという言葉があるが、パワーを求め集うその場所に行けば逆にパワーを吸い取られる…

 

僕が経験上というかいつも感じるのは、多くの人は「ネガティブエネルギー」を抱えているということである。

 

さて、ここで一番重要なのは

 

「アナタ自身」はどうなのか?

 

である。

 

 

 

日常生活を見つめなおしてほしい。

 

仕事に行く前に憂鬱な気分になってませんか?

 

仕事の休憩時間にグチを言ってませんか?

 

帰宅してからはとりあえずテレビをつけて、その情報に一喜一憂してませんか?

 

とりあえずスマホをいじって時間を浪費してませんか?

 

それを、フツーの日常で「当たり前の生活」と無意識的に感じているのがマジョリティ(多数派)であろう…

 

しかし!

 

はたして、その日常行動は

 

あなたの理想の人生を実現させてくれるのか?

 

やりたくもない仕事を「カネのため」「生活のため」と言い聞かせる現状。

 

ネガティブな言葉を吐き出してストレス発散させる会話。

 

自分には直接関係のないニュースを見聞きして時間をつぶす。

 

現実なんかよりもスマホゲームで刺激を得るのが楽しいか?

 

 

 

お断りしておくが…

 

価値観は人それぞれあり、日常行動に良し悪しはない。

 

しかし、その行動に少しでも疑問を抱くのであれば

 

少しだけ考えてみてほしい

 

自分自身に正直に…

 

 

 

 

夢を捨てろ!!

僕は「夢」という言葉が大嫌いであった。

 

今でも好きではない。

 

夢が叶うなら世の中全ての人がもっと幸福感を味わっているはずではないか?

 

この世は「現実」なのだ!

 

 

「現実」とはなんぞや?

 

「実現」である!

 

 

 

あなたの理想の人生を「夢」だと思うのなら、

 

この先は読まないでください。

 

なぜなら、この世の中の99.9パーセント以上の人々は「夢の世界」で生きることに甘んじているから…

 

 もっと言わせてもらおう!

 

夢という幻想を追い求めながら人々は現状をガマンしながら時間を浪費していくのである。

 

 

 

「夢」は希望を安堵感に変える「現状維持」を生み出す。

 

宝くじ当てて億万長者に一発逆転!?

 

今この毎日をクソみたいに送っている人間が「億」を手にして何になるというのか?

 

あなたは札束を手に入れるために生まれてきたのですか?

 

老後の安心を得るために生まれてきたのですか?

 

カネさえあれば何でもできる?

 

はたして、その「お金」はアナタの存在以上に価値のあるモノでしょうか?

 

アナタはその一億円でどれだけ多くの価値を生み出せますか?

 

アナタは一日のうちで何回「ありがとう」と言われてますか?

 

アナタは世の中に必要とされる人間ですか?

 

今一度、アナタの存在そのものに焦点を当ててみてはいかがであろうか?

 

 

 

現状に不満を感じているならそれはそれでいい。

 

親や先生の教育が悪かった?

 

お金がないのは日本の社会が悪いからか?

 

現状を他者のせいにして周囲に気を使いながら自分自身のパフォーマンスを下げていることにすら気づけないのか?

 

やりたいようにやれば良いではないか!?

 

生きたいように生きれば良いではないか!?

 

しかしながら…

 

その根底にあるのは「自分の人生は自己責任」である、ということだ。

 

 

 

もちろんお金は大切である。

 

多くのお金があれば生活は豊かになる。

 

一億当ててみるのも悪くはない。

 

しかし、そんな「夢」よりも億を稼げるような人間になれば良いではないか?

 

たとえ億を稼げなくても自分自身が幸せになるような生き方をすれば良いだけなのだ。

 

宝くじで高額当選する確率よりもはるかに高いからだ!

 

 

「人生とはこんなものだ」

 

「しんどい生活でストレス発散も大切だ」

 

「仕事はしんどいのがあたりまえ、休日と余暇を楽しんで生きるしかない」

 

なぜ、あなたの人生は好転しないのか?

 

考えたことありますか?

 

 

 

いうまでもなく、この世界に生きるほぼすべては一般人(フツーの人たち)で構成されている。

 

99.9パーセントであろうか?

 

千人いれば999人がフツーの人たちであろう。

 

ちなみに僕は言うまでもなく「変人」だ。

 

おそらく一万人に一人(0.01パーセント)のマイノリティ(少数派)である。

 

ココから先は僕の妄想世界となっていくが…

 

あくまでもフツーではない「変人」である僕の見解として気楽に読んでいただければと思う。

 

少しでも共感できる部分があれば幸いです…

 

 

 

 

フツーの人たちとは何か?

世の中の大多数の人々、いわゆる「フツーの人たち」のことを「マジョリティ」という。

 

洗脳ともいえる環境(この現実社会)で育ち、

 

情報(テレビやネット、周囲のアドバイス)を鵜呑みにして、

 

何の疑問も抱くことなく、不平不満をベースに人生を歩み生活を送っている人たちのことである。

 

お断りしておくが、それは悪いことではない。

 

テレビやネットで情報を得て、不平不満は愚痴でストレス発散、スマホゲームで快楽を得て、そして毎日の時間が流れていく…

 

「仕事はカネのためにやっている」

 

「生活はもちろん、老後とか色々考えれば、お金は必要でしょ?」

 

「カネさえあればなんとかなる」

 

結婚して子供がいればなおさらそのような思考となりえるのではなかろうか?

 

それは当たり前である。

 

なぜならそれがマジョリティ(多数派)であるからだ。

 

それに対してマイノリティ(少数派)が存在する。

 

いわゆる「変わり者」と言われる者だ。

 

どちらにせよ、幸せな人生(後悔のない人生)を送るために重要なのは

 

「あなたの人生、生活はあなた自身が決めること」

 

親や学校の先生が言っていることに疑問を持ったことはありますか?

 

良い仕事に就きましょう

 

良い仕事とは何ぞや?

 

 

 

安定した収入を得て老後に備えるだけのお金をためておきましょう

 

それも一理あり、ごもっともともいえる意見であろうが…

 

本質的なことは教えてくれない。

 

それは何か?

 

 

 

あなたは死にます

 

 

 

だから悔いのない幸せな人生を送りましょう。

 

 

 

「幸せ」について具体的に教えてくれる親や先生は少ないのではなかろうか?

 

いや働くことの「本質」すら教えてくれない。

 

その本質を知らずに、漠然と

 

「お金持ちになりたい」

 

という人は多い。

 

もちろん、人の価値観は千差万別、正しいも悪いも存在しないことはいうまでもない。

 

 

 

 

「死」を意識せよ!

 

洗脳という魔力から逃れ、本当の意味で幸せに生きる方法のひとつは

 

生きること、すなわち死ぬこと。

 

あなたは自分が死ぬ瞬間をイメージしたことはありますか?

 

その時の心境すらイメージ出来ないのではなかろうか?

 

後悔なく満足いった人生でしたか?

 

イメージ出来ないのがフツーであろう。

 

たいていの人は老後の心配はすれど、「死」を意識して生きてはいないからだ。

 

もしも、アナタの余命があと一日だとすれば何をしてこの瞬間を生きますか?

 

その「一日」にはアナタの人生のすべてが集約されている…

 

さて、「一日」は短すぎて想像もできないのであれば、

 

余命半年、余命一年、余命十年、と考えればいい。

 

自分自身にとって本当に大切なものが見えてくるかもしれない…

 

 

 

人は必ず死ぬ

 

それは真実

 

自然の法則である…

 

 

 

僕は、というかほぼすべての人々は子供時代から洗脳されて成長してきたのではなかろうか?

 

「好き嫌いはいけません」

 

おとなも好き嫌いがあるではないか?

 

「人に迷惑をかけてはいけません」

 

生きている限り迷惑をかけるものである

 

「男のくせに~」

 

「女のくせに~」

 

「~らしくあれ」

 

「~らしくない」

 

 

親や学校の先生は子供のことを思っているのは当たり前、

 

「あなたのため」といって説教をするのだが…

 

しかしタチが悪いのは本人に悪気がないという点であろう。

 

はたして「正しい」ことを教えているのか?

 

あなた以外の人たちは本当に正しいですか?

 

いや、そもそも「正しい」とは何ですか?

 

「常識」だから?

 

それが「一般的だから?」

 

 

 

フツーじゃない、という点では僕自身は正しい部類とはかけ離れている。

 

人とは違う趣向をもち、人とは違う行動をして、人とは違う生活を送っているからだ。

 

しかし、そこには根拠があり、それは

 

「自然体」

 

「自分自身に正直に生きる」

 

ということであろう。

 

皮肉なことに、世間からはその生き方は「変わり者」と思われれるのだ。

 

 

 

 

死への恐怖が僕を目覚めさせた!

 

子供時代の僕は「当たり前な日常」が永遠に続くと勝手に想像していた。

 

ちなみに「あたりまえ」の反対語は「ありがとう」である。

 

 

今から思えば、僕は「憎たらしいガキ」であった。

 

プライドだけはいっちょ前、自分をデカく見せようとして背伸びをしていた。

 

「感謝」とか「謙虚さ」といった感情に乏しかったのである。

 

 

時は流れ、僕が学生の時、おじいちゃんが死んだ。

 

高齢であったが、昨日まで元気だったので、その知らせを聞いた時、

 

衝撃が走った!

 

「人は死ぬ」

 

あたりまえであろう。

 

どのような聖人君子偉人天才英雄であれ、死からは逃れられない…

 

生きるものは死ぬのだ!必ず…

 

あなたは自分の「死」をイメージできますか?

 

 

 

身内が亡くなって「悲しみ」を感じ人がほとんどだと思うが、僕はそうではなかった。

 

正直言って「怖かった」

 

人間は死ぬんだ

 

僕もいつかは死ぬんだ

 

死んだらどうなるのか?

 

死んだら無の世界が待ち受けているのか?

 

無とはなんぞや?

 

感じることも思うこともできない闇の世界へ消えていくのか!?

 

どうすればいいのか?

 

 

 

自分自身が無くなるとはどういうことなのか想像できない

 

人が死ぬことを亡くなるというが…

 

無くなるということなのか?

 

 

 

 

「自然」は「神」

 

人間死んだらどうなるかは誰にもわからないとされている究極の謎であるが…

 

僕が思うに、生まれる前に戻る。

 

それが僕が最終的にたどり着いた答えであった。

 

生まれる前とはなんぞや?

 

それは「自然」に帰るということだ。

 

この肉体を構成する物質は、生まれる前は「自然の一部」であった。

 

本来の場所に戻るだけなのだ。

 

「今現在」に執着することは不自然。

 

なぜ執着する必要があろうか?

 

生まれる前には「意識」などなかった。

 

自然の一部であったから…

 

ではなぜ今ここにあなたの意識は存在するのか?

 

それは分からない。

 

しかし宇宙にとってそれは必要だから存在するのであろう。

 

すべての人間は「喜怒哀楽」といった感情を味わうために存在している!

 

感情の爆発と感情の共有こそが「幸せ」の正体ではなかろうか?

 

 

 

神などない!

 

ここに存在するのはあなたの肉体と感情だけではないのか?

 

 

 

神の名を口にしてはいけない。

 

その言葉の意味は深い…

 

偶像を作ってはいけない。

 

モーゼの十戒にはそのような言葉がある。

 

ちなみに…

 

旧約聖書には聖書でありながら「神の名」は一切書かれていない。

 

神という存在を「形」にすれば人々は幸福にはなれないということであろうか?

 

人間の心は目に見えないのと同じように、神も心の奥に秘めておくべきものなのか?

 

 

 

「アート」の世界ではあらゆる表現方法があるが…

 

「心で感じること」

 

それが一番重要であろう。

 

そこには一般常識や口うるさい親や先生もいない。

 

彼ら彼女らは絶対的な存在ですか?

 

あなたが感じたいように感じればそれが正解なのだ!

 

エログロバイオレンスさえも生きる喜びと活力を与えるエナジーとなりえる「人間の心」が「自然」なのだから…

 

 

 

感情を爆発させて何が悪い?

 

自分自身の心に正直であれ!

 

それを教えてくれるのが芸術(アート)の真骨頂であろう。

 

感情の爆発こそが「今ここに生きている」証ではなかろうか?

 

感情は自然に沸きあがてくるものである。

 

すなわち「自然体」でいきること、それが人間がこの世に生まれてきた意味ではなかろうか?

 

僕の音楽には「神」が宿っている!

 

なぜなら、アナタも僕も「自然」であるから…

 

 

 

 

いかに生きるか?

 

日常生活や自分自身の感情において、ネガティブとポジティブ、陰と陽、闇と光…

 

誰しもが持っているであろうが「今ここに生きている」という事実が存在する。

 

あなたはどのように生きたいのですか?

 

いずれあなたの人生は尽きて死を迎えることでしょう…

 

悔いのない人生でしたか?

 

いかに「生きる」かは、いかに「死ぬ」かであろう!

 

 

 

僕が今ここに存在するのと同じように、あなたも今ここに存在します…

 

今この瞬間を生きろ!

 

火花散らすライヴ、一体感と感情の共有…

 

これ以上の「幸せ」があろうか!?