巷であふれかえるスピリチュアル系動画などでは
「ポジティヴ思考」の重要性がこれでもかと言わんばかりに強調されては多くの人々に支持されているようだが…
コメントを読めばその動画に協調するような内容であふれかえっていよう。
この僕も一時期、いわゆる「スピリチュアル系動画」を見ていたことがあったのだが…
しかし、僕は疑問を感じたのである。
はたして「ポジティヴ思考」だけで人間は幸せになれるのか?
「ポジティヴ思考」は現状に無理やり満足させるクスリなのではないのか?
アナタはどう生きたいのか?
もっといえば、そのような「スピリチュアル系動画」にコメントしている内容であるが…
「もっと頑張ります」
「気力がわいてきました」
一見すれば素晴らしいコメントであろうが、裏を返せば
現状、幸せになりたい人(=幸せではない人)のコメントともいえようか?
裏を返せば、現状維持しながら現状打破出来ない「ネガティブエネルギー」に満ち溢れているのである。
お断りしておくが、現状維持は悪いことではない。
なぜならほとんどの人々は「安定」「平凡」に幸せを見出して過ごしているからだ。
いうまでもなく僕は変人である。
ヴィジュアル系アーティストということもあり、安定平凡とは真逆の刺激非日常世界を提供する立場である。
そもそも「ポジティヴ思考」を推し進めるスピリチュアル系を見る人々はどのような人たちなのか?
「~な人生を送りたい」
「~が欲しい」
送れば良いではないか?
手に入れれば良いではないか?
それが出来ない現状、感情そのものが「ネガティブエネルギー」を放っているのである。
現状が「幸せ」もしくは目標に向かって邁進している人間は「スピリチュアル系動画」などに没頭してコメントしている暇がないであろう。
自然体であれ!
さて、一見「ポジティヴ思考」のほうが優れているように思えるが…
はたして「ネガティヴエネルギー」は「悪」なのであろうか?
人間には「喜怒哀楽」という感情があるが…
「喜」と「楽」がポジティヴだとすれば、「怒」と「哀」はネガティヴだろう。
しかしながら「怒」の感情にはとてつもないパワーが秘められており、使い方によっては自分自身を強くしたり、人々に感動さえ与えられるのである。
「哀」も同じく、慈しみの心を育ててくれるのだ。
アーティスト側から見れば、ネガティヴを否定してポジティヴだけで表現するなんてことは不自然なことである。
「ネガティブ」を否定すること、すなわち「感情」を否定することだからだ!
映画にたとえてみればわかりやすい。
アクション映画には暴力表現は欠かせない。
活力がわいてこないか?
名作と言われる映画にはバッドエンドが多い。
感動して涙を流すことは自然であろう?
映画を見終えた人々はネガティヴか?
むしろ、人生において豊かさを与えてくれるではないか!
活力とか幸福感とかいった「ポジティヴ」である。
僕の音楽はネガティブエネルギーの爆発、本能の解放ともいえようか?
「ネガティブ」を否定しては音楽を表現出来なくなってしまう。
そうはいっても、それは「音楽表現」に限ってのことであり、普段の僕は「ポジティヴ」であるとよく言われる。
音楽性が「怒り」「怨念」に満ち溢れているからといって、それを提供するバンドマンおよび視聴者の皆様が「ネガティブ」でなければならないということはあり得ない。
バイオレンス映画が好きな人が全て喧嘩っ早い怖い人ではないのと同じように。
最も大切なのは「ネガティヴ」をテーマとした音楽や映画などであっても、生きる活力や幸福感を結果的に得られればそれが正解…
「清く正しく美しく」という言葉があるが…
勘違いしてはいけない!
教育面、表面上、建て前、宗教、で押し付けられるものではなく、自分自身の心に正直に生きることであろう…
正(正しいこと)とは生(生きること)、
自然体であれ!